水中読書

今、私は本を読んでいる。

本を読んでいるが、その姿は丸裸である。なぜ裸なのか、そもそもここがどこであるのかすらも分からないが、そのことはどうでもよい。とりたてて騒ぐほどのものではない。とにかく私は今、本を読みながら裸で生ぬるい水に浮いていて、ぷかぷかとても気持ちが良い。胎内のころの記憶はまるでないが、この水の中で私は、その感覚を再び知ったところでもある。

 

さて、とにかく私は今たいへん良い気持ちでいるところであるのだが、肝心の本については話が別である。この本というものがとてつもなく大きい。私の身体ぐらいあるページを、いっしょうけんめいにめくりながら、いっしょうけんめいに読むようである。大きいなら大きいなりに、ページいっぱいに面白いことがびっしりと載っていればよいのだが、なにしろ文字が虫のように小さくて見えない。この空間はとても心地良いが、ここでの読書という行為は確かな苦痛を伴うものに違いなかった。

 

ところが、巨大な紙をめくりつづけていると、あるひとつのページだけ文字が大きい。この苦痛にそろそろうんざりしてきた私は紙をめくるのをやめ、それをまじまじと眺めた。ーーーその文章の美しさたるや、どんなに名著といわれたものにも及ばない。私は何度も何度もそれを目で追った。それは見たものを恍惚とさせるが、愉快な気分にもさせる。それでいて、ちょっと陰鬱な印象も受ける。我を忘れた私は、思わず並んだその文字たちに手を伸ばしたーーー。

 

ーーーという夢を、先日昼寝をしたときに見ました。この「文章」、ほんとうに素晴らしいものであった感覚は脳に残っているのですが、肝心のその中身は完全に忘却しました。

 

以前、このブログの前身となるところで、頑張って短編小説を書いたことがあります。それもこの記事の冒頭のように、実際に見た夢を題材にしました。その夢もとても素敵なものだったのですが、私が脚色するとあら不思議、見事に大変つまらないものに変身しました。書いてすぐの頃は偉大なショートショートでも生み出したような気がするのですが、時間が経ってそれを読み返すと鳥肌が立って止まりませんでした(冒頭もだいぶ寒いですが)。何度読んでもあれは、若さゆえの愚かさを煮詰めたようなしょうもない駄作です。

 

それから、私は執筆に関しては、複雑にはせず、できるだけ単純に、自分が感じたことを素直に文字に起こすようになりました。あのくだらない短編小説が、ある種のトラウマになっているのです。気を衒うのは簡単だけれど、シンプルなものほど技術が必要だということに、ようやく気がつきました。

 

でも、この「夢日記」、めちゃくちゃ寒い行為だとは分かっているのですが、それでもついやってしまうんです。ポイントは、好きな作家の文体や雰囲気をとことん真似すること。意外にも楽しいので実はおすすめです。面白い夢をよく見る方はぜひ。