コロナワクチン4回目

本日、12月2日の金曜日、集団接種会場で新型コロナウイルスワクチンを接種してきました。

 

集団接種はとてもスムーズに進みました。次々といろんな「窓口」でいろんな人に予診票や運転免許証を見せて、サッと打って、15分椅子に座って安静にして終わりです。個人病院で受けるよりもスムーズでした。

 

その後は、会場の近くにあるカフェでひとりランチをしました。アイスコーヒーといっしょにスパゲッティナポリタンを食べながら、仕事のことや、病気のことを考えていました。 

 

私はいろんなことに敏感です。例えば、大きな音が苦手で、映画館やお祭りの会場が好きじゃありません。他人から触られることも好きではありません。だからなのか、肌に直接触れる素材にはこだわりがあります。

 

でも、思うに、私は私の身の回りに散らばっている小さな小さな幸せや、ほんとうは私がたぐりよせたはずの、何にも変えられないようなかわいらしいご縁の大切さにはとても鈍感です。私はいつもそれらに自ら気がつくことができません。それらが、どんなに私のすぐそばに転がっていたとしてもです。幸運にも、それらに気がつくことができたとしても、愚かな私はそれをないがしろにしてしまいます。

 

そのためなのでしょうか、私は今すぐ、ただちに、速やかに、かつ分かりやすい効果のある「刺激」を常に求めてしまいます。アルコールやカフェインなんかはまさにその最たるもので、しかも今の時代、そのふたつはいつでも、どこででも手に入れることができます。この日も、アイスコーヒーをふたつ頼んで飲み干したあとに、帰り道にコンビニへ寄ってエナジードリンクを飲みました。カフェインを摂取したあとの、なんとも言えない「何かをしたくなる気持ち」が好きです。

 

ですが、案の定、この日の午後は気持ちが悪くなってしまい、ずっと横になって過ごしました。夜ご飯は食べませんでした。朝まで眠れませんでした。そして、何もしませんでした。

 

愚かだし、幼稚です。

こういうことを繰り返して、しばらく経ったあとにああ、自分は本当に馬鹿だなあ、と毎度落ち込むのです。もっと若い頃は、処方された精神薬や、市販の咳止め薬(有名ですよね)などで足りていない「刺激」を満たしていました。いい大人になってもそういうことを辞められない。私はそういう人間なんですね。

 

私は今「ああなりたい」とか「これがしたい」とか、昔ほどあまり夢を見ることがなくなってきていますが、ひとつだけ、「子どもたちには絶対に私みたいになってほしくない」と強く強く思います。子どもたちとは、私が仕事で関わっている発達障害のあるお子さんたちのことです。彼らには、ただ人に愛され、守られて、毎日楽しく過ごしていてほしい。何もしなくていい。ただ生きていて、それが心地の良いものであってほしい。

 

私が生きる気力を全く失くすまでは、この子たちのために出来ることは何なのか、考え抜くことがきっと今の私のやるべきことです。