新人さんとのお話

12月8日の木曜日は、朝から仕事でした。今日もいつものように仕事をこなし、職場の人たちと何気ない会話を交わしました。私にとっては、これらはかなりエネルギーを消費する行為です。特に後者は、どこまでも私の心をすり減らします。私はもしかすると、本当は人間が嫌いなのかもしれません。

 

午後、先週から職場に入った新人さんと車で出掛けることになりました。新人とはいっても、私よりもうんと職歴や人生経験の豊富な歳上の方です。私が運転する車の中で、1時間ほどお話する機会がありました。

 

その人は、仕事においての心得のようなものや、若いからとはいえ、全く焦る必要はないということなどを、親切にお話してくれました。私の話も、丁寧に聞いてくれました。この人のお話は、優しさとそれに付随するたくましさが溢れていました。私は、この人に、ちょっとだけ頼ってみたい、お話を聞いてみて欲しい、と思いました。

 

そんなことをしていると、車はいつの間にか、職場のある街から私の住む街に移動していました。この街には滅多に来ない、とその人は言うので、そうなんですね、と私は返事をしました。

 

すると、その人は「ひとつだけ、この街の〇〇という地名なら知っている」と、言いました。それは、私の家のある地域でした。またか、と、思いました。

 

統合失調症である、と診断されたことはありません。でも、子どもの頃から、私のことはどんなことでも、全ての他人に知られているのではないか、という得体の知れない恐怖が脳にこびりついて離れないのです。滅多に来ない街の、数ある地名の中から、私の住む地域をぴたりと当てるかのように言うなんて、この人はもともと私を誰か他の人たちと監視していて、私の住む場所もあらかじめ知っていて、そのことをほのめかしたのだろう、としか思えないのです。

 

とても馬鹿げています。そう思う、冷静な自分もいます。それがとても辛いです。2人の自分に惑わされ、私の頭の中はいつも混乱状態で、ときどき、目の前の出来事が、妄想なのか現実なのか、区別がつかなくなるときがあります。それでも無理矢理頭を働かせて、やっぱりそんなわけがない、そう思い込むようにしてなんとか今まで狂わずに生きてきましたが、生活の中であまりにもこのような「ほのめかされる」場面が多いので、正直に言って生きていることが虚しく、意味のないものに思え、何もかも終わらせたくなる気持ちが大きくなってきています。

 

私が行動に移さないのは、もし失敗してしまったとしたら、それほど面倒なことはないと思うからです。また、愚かなので、完璧に遂行する勇気もありません。馬鹿げている、そんなわけがない、と自分で自分をごまかしながら、なんとか騙し騙し毎日をこなしています。

 

車の中で生きる意味を失いながら、1時間後、なんとか職場に戻りました。私は頭がくらくらして、心はここにあらず、といった感じでしたが、全く健常なふりをしてその場をやり過ごしました。もう慣れているのです。そして、いろいろなことを諦めることができています。